【0056】1年は何週間かを考える 3 of 3

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1年は52週と1日である。

1日を1行7列で365個並べてみると、1月1日が何曜日になるかによって、第1週の日数が7日に満たなくなる。そういう不完全な(?)週があるから53週になるということが理解できました。
(日野)は日曜日が左端にあるカレンダーを好んで使っています。1週間が月曜日から始まる人もいるでしょうし、1年=53週というのは、あまり意味のある数え方でないような気がします。

やはり単純に、365÷7=52週と1日、と捉えたほうが都合がよさそうです。

そして、52週なら4で割り切れるから、1か月=4週と決めたほうが合理的です。
たとえば、毎月28日で固定だから「1日は常に日曜日」などと明確にわかるし、「今月末って何日やっけ、え~っとニシムクサムライ…」とかつぶやくこともなくなるわけです。

でも、不便であってもそうしなければならない決め事というものが世の中にはあるようで。やっぱり1年は12か月でないとダメなようです。

オマケ:明治政府の改暦は合理的で経済的

なぜ1年=12か月か、というところで、52週だから4で割ったら合理的で経済的。でもそうすると13か月になるからダメみたい。世の中には合理的・経済的より優先されるものもある。ということを書きました。

暦に関するとても合理的・経済的な話があるのでオマケに挙げておきます。


明治5年(1872)11月9日、太陽暦を採用し、12月3日を明治6年1月1日にするという布告が突然出された。暦を決めるとは時間の流れを区切ることであり、天体の運行=神意を把握することである。したがって、古来、暦の確定は統治者の特権であり、東アジアでは中国の帝王が変わるごとに「正朔」(1月1日、つまり暦のこと)を定め、周辺の王朝はその「正朔を奉じる」ことを服属の証とした。

牧原憲夫 『小学館 日本の歴史13』> 原著は漢数字を用いているが(日野)が書換え

日本では明治に旧暦から新暦に変わりました。

この改暦の理由が生活感あふれるというのか人間味あふれるというか、なんというか。


日本の王朝では(…)太陰暦だった。月の公転周期は約29.5日だから、12か月は345日となり、3年で1か月以上も地球の公転周期とずれる。そこで閏月を入れて、立春のころに正月がくるように調節した(太陰太陽暦)。(…)ところが、西洋諸国と交渉が始まると太陽暦との併記が不可欠になり、時には行き違いも起きた。しかも官庁は明治4年9月から月給制になり、閏月のある明治6年は13か月分の給料を払わねばならない。それに気づいた大隈重信の決断で改暦が断行されたといわれる。

牧原憲夫 『小学館 日本の歴史13』>原著は漢数字を用いているが(日野)が書換え。下線は(日野)による

「合理的、経済的より大切なことがある」と殊勝なことを書いたところですが、明治の改暦の理由に「閏月の給料はらいたくない」という、なんとも経済的なものが並んでいて、おもしろいなあと思う。

と同時に、暦を定めることがいかに特権か、権力を示すことになるかというのがわかるエピソードだなあと思いました。
よほどの権力がないと、「給料払いたくないから暦変えます」なんて言えないですものね。

ちなみにこのときに出された「太政官達 第337号(明治5年、1872年)」と「勅令 第90号(明治31年、1898年)」がいまも効力を持って、日本の暦を定めているようです。

こちらは情報源が確かではないので、また調べてみようと思ってます。

–完–

(追記)投稿当時は現在とちがい、管理人の名称は(準備中)でした。修正して現在の一人称である(日野)等に置換えをしています。


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