【0144】なぜ読解する技法か 5 of 8
–前回までのあらすじ–
蔵書を推量するとざっくり1600冊、3畳もあれば不自由なく置いておけるくらいの量だが、育ち盛りの子どもたちを抱えていると半畳すら惜しく、意思なく残っている本を手放してもよいのではないか/本を捨てるということを初めて思いついたときに、ではどのような本を捨てるのか、捨てる基準を設定するのか、基準をつくるとなるとどうしても機械的になり、そうすると人生を変えたはずの思い入れ深い成毛眞「本は10冊同時に読め!」も捨てる対象となります。基準をつくる以上は形式的になりますが、そうすると捨ててしまって困るような本がいくつも思い当たります。
そのような捨ててしまって困る/センチメンタルな本はいくつも思い当たります。
一方で、いくつも思い当たるとして、“いくつも”といっても、そのような本というのはざっくり1600冊という蔵書の全数からすると極めて少数、ごく一部のはずです。
極めて少数、ごく一部であれば、そのようなセンチメンタルでナイーブな本だけは選別して別扱いにして他の本をどうするかを考えればいいように思い始めました。
本棚に置く/置かないの意思決定をすることなく残っている本は原則的には捨てたらいいと思います。
さきほどの例で言うと、
- 原則として読んだ本は捨てる。ただしリスト化は(印象的な文やひと言感想付き)する
- 原則として読んだ本は捨てる。ただし残す判断をした本はその限りでない
のどちらかです。
このどちらかを選び、読んだ本は「捨てる」を原則としたときに、捨ててしまって後になって残しておけばよかったと後悔するような本が確実に出てきます。
そのような後悔をどのように減らすことができるか、が重要になってきます。
原則捨てるとして、捨てたことを後悔したくない、という想いから「本を捨てる方法」を探すことになります。
どうやって探すかというと、本を読むわけです。
「本を捨てる方法」を探すために本を買うという、一見本末転倒な行動ではありますが、
求めていたことは明確で、
「どんな本を放かすか/何を手放すか」
「放かす本をどう処置するか/手放し方」
の2点です。
その求めていたことを書いてある本が手許にはなかった。だから新しくそれが書かれてある本を探す、ということです。
【起】佐藤から出口に出会う
「どんな本を放かすか/何を手放すか」、「放かす本をどう処置するか/手放し方」の2点を求めて、書店で本を探します。
求めている内容から推測するに、読書術のコーナーにあるだろうと考えました。
事務所近くの書店にある読書術のコーナーでいくつかの本を眺めていると、佐藤優「読書の技法」という本が目に入りました。
佐藤優氏は好きな作家です。好きな作家なので、パラパラとめくっただけで、求めていた2点/本を捨てる話とは関係なく買ってしまいました。
買ってしまった以上それなりに目を通します。すると次の文に出会いました。
“
筆者の場合、現代文に関しては、比較的得意な科目で、試験でもそう悪い点をとることはなかったので、特に勉強法について考えたことがなかった。(…)現代文は感覚や経験で解くというのが、筆者が受験生時代に持っていた常識だった。このような常識が間違いであると出口氏は厳しく批判する。
“現代文はどんな教科かって聞かれたら、結論をズバリ言いますよ。現代文というのは、君たちの論理的思考能力を問う教科です。実は入試問題にはいろんな教科がありますけど、所詮、二つのことしか試してこない。何かっていったら、論理と知識ですね。この二つ。教科が変わっても、結局はこの変形なんですよ。(後略)
<佐藤優 『読書の技法』p178 下線は(日野)による>
“
下線部分は(日野)も完全に同感で、だからこそ、そのあとの否定と引用文に衝撃を受けたわけです。
–次回につづく–