【0146】なぜ読解する技法か  6 of 8

21-読解する技法77一般スキル

–前回までのあらすじ–

多読が習慣となったいま振返ると確かに人生が変わったが、それでも本を捨てるということを初めて考えることになったときに、まずではどのような本を捨てるのか、その捨てる基準というのはどういうものだろうかと考えました。原則捨てるとして、捨てたことを後悔したくない、という想いから「本を捨てる方法」を探すことになり、佐藤優「読書の技法」という本が目に入りました。

【承】国語現代文の認識が変わった

さて、本を捨てる方法を探して読書術の本を眺めていると、驚きの記述を見つけてしまいました。

繰り返しになりますが、以下の引用箇所です。

筆者の場合、現代文に関しては、比較的得意な科目で、試験でもそう悪い点をとることはなかったので、特に勉強法について考えたことがなかった。(…)現代文は感覚や経験で解くというのが、筆者が受験生時代に持っていた常識だった。このような常識が間違いであると出口氏は厳しく批判する。

“現代文はどんな教科かって聞かれたら、結論をズバリ言いますよ。現代文というのは、君たちの論理的思考能力を問う教科です。実は入試問題にはいろんな教科がありますけど、所詮、二つのことしか試してこない。何かっていったら、論理と知識ですね。この二つ。教科が変わっても、結局はこの変形なんですよ。(後略)

佐藤優 『読書の技法』p178 下線は(日野)による>

この部分しかり、同書の他の箇所では、

論理を読み解くという切り口から見ると、確かに現代文は数学と親和性が高くなる。出口氏は、次のように指摘する。

“現代文は数学とまったく一緒なんです。数学は論理を記号や数字を使って表すもの。それに対して、「論理」を日本語によって表したのが現代文の「評論」です。だからこの二つはいちばん近いんだね。(…)例えば、上下運動する球を両端から糸で引っぱってごらん。球は止まるでしょ。同様に文書の中で言葉は、無数の糸で引っぱられているのです。引っ張られて意味が決まる。その働きが文脈の力というものなんです。(…)文脈によって言葉を規定していけば、言葉は固定化されます。そうすると、言葉は揺れ動かず、数学の記号と同じになってくる。その結果、現代文は感覚の教科から論理の教科に早変わりするわけですから、数学と同じように明解に解けます。(後略)

佐藤優 『読書の技法』p183-186 下線は(日野)による>

この引用部分がまた強烈で、振返るとこれがクリティカルでした。

無意識に読んでいた文章がこの意識を持つことで見方捉え方が変わるのではないか、ということに気づき、

実は読解ができていないのではないか、
という疑問を、初めて、持った瞬間でした。

 

佐藤優氏が書いてますが、(日野)も同じくで、勉強してもしなくても現国の成績は悪くはなく、少なくとも他人よりはできていたはずの現代文読解です。その現代文読解ができていないのではないかという疑問を初めて持ちました。

そのように読解ができていないのではないかという疑問を持つことで、それ(読解ができていないということ)が、最近感じていたコミュニケーション上のつまずきの根源ではないか、という仮説を得ることにつながりました。

 

–次回につづく–

21-読解する技法77一般スキル


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