【0147】なぜ読解する技法か  7 of 8

21-読解する技法77一般スキル

–前回までのあらすじ–

「本を捨てる方法」を探していると佐藤優「読書の技法」の次の文に出会い、実は読解ができていないのではないか、という疑問を初めて持ち、読解ができていないのではないかという疑問を持つことで、それ(読解ができていないということ)が、最近感じていたコミュニケーション上のつまずきの根源ではないか、という仮説につながりました。

文脈によって言葉を規定していけば、言葉は固定化されます。そうすると、言葉は揺れ動かず、数学の記号と同じになってくる。その結果、現代文は感覚の教科から論理の教科に早変わりするわけですから、数学と同じように明解に解けます。

佐藤優 『読書の技法』p183-186>

【転】聞く・読む・話す・書くといった言語活動における「読む」の軽視

さて、繰り返しになりますが、次の文を読んで初めて読解ができていないのではないか、という疑問を持ったわけです。

論理を読み解くという切り口から見ると、確かに現代文は数学と親和性が高くなる。出口氏は、次のように指摘する。

“現代文は数学とまったく一緒なんです。数学は論理を記号や数字を使って表すもの。それに対して、「論理」を日本語によって表したのが現代文の「評論」です。だからこの二つはいちばん近いんだね。(…)例えば、上下運動する球を両端から糸で引っぱってごらん。球は止まるでしょ。同様に文書の中で言葉は、無数の糸で引っぱられているのです。引っ張られて意味が決まる。その働きが文脈の力というものなんです。(…)文脈によって言葉を規定していけば、言葉は固定化されます。そうすると、言葉は揺れ動かず、数学の記号と同じになってくる。その結果、現代文は感覚の教科から論理の教科に早変わりするわけですから、数学と同じように明解に解けます。(後略)

佐藤優 『読書の技法』p183-186 下線は(日野)による>

そして、その(読解ができていない)ことが、コミュニケーション上のつまずきの根源ではないか、という仮説が生まれました。

 

コミュニケーション上のつまずきを最近感じているということですが、コミュニケーションは、“人間が互いに意思・感情・思想を伝達し合うこと。言語・文字その他視覚・聴覚に訴える身振り・表情・声などの手段によって行う。<松村明編『大辞林』>”とあるとおりまずは「言語・文字」を手段として為されます。

 

ここで、「言語・文字」を扱うときに「読解」以外にどのようなアプローチがあるかを考えてみます。

「読解」を訓読みすると「読み解く」。

「読む」「読むこと」というと、昔に中学・高校で英語の科目にあった「Reading」を連想します。

そこから連想の翼を拡げると、英語コミュニケーション能力を評価するTOEICを思い起こし、http://www.iibc-global.org/toeic/toeic_program.html

そのTOEICの試験内容は、「Listening & Reading Test」「Speaking & Writing Tests」の2種です。

ここから、TOEICでは「Reading」「Writing」「Listening」「Speaking」の4つが評価対象であることがわかります。

TOEICは“英語コミュニケーション能力を評価する”ものですから、その評価対象である「Reading」「Writing」「Listening」「Speaking」の4つが言語を介するコミュニケーションに必要な能力であろうと推測することができます。

日本語にすると、「読むこと」「書くこと」「聞くこと」「話すこと」でしょうか。

 

この推測:言語を介するコミュニケーションに必要な能力が「読むこと」「書くこと」「聞くこと」「話すこと」の4つであるという推測が、どうやら正しそうだということが次の引用で判ります。

戦後、アメリカの教育視察団がやってきて日本の学校教育改善の提言をした。(…)「読み、書き、話し、聴く」の四技能を併行して伸ばすように指示した。日本人ははじめて、読み、書き、話し、聴くの四技能ということを知った。<外山滋比古 『乱読のセレンディピティ』p71>

 

言語を介するコミュニケーションに必要な能力が「読むこと」「書くこと」「聞くこと」「話すこと」の4つであると、こう整理してみて、改めて振返ってみると、いままでに「読む」に関する本は持っていないことに気づきました。

「書く」は、このブログをはじめたときに集中的に勉強し直しました。10には足りませんが、それに近いくらいの本が書棚に置いてあります。

「聞く」は、法務担当者としてやっていこうと腹を決めたときに、カウンセリングに興味が及んで調べた結果、いくつか、5冊ほどの本が置いてあります。

「話す」は、元々苦手意識が強いところです。あまりにも出来が悪いので出来るようになりたいという想いも生まれることがありません。あるとき誕生日か何かで頂いた<田中イデア「ウケる!トーク術>という本が1冊、積ん読の山にあるくらいです。その人はなぜ(日野)にそのような本を与えたのでしょうか。「話す」に関しては、強烈な苦手意識から、(日野)自らは本を買うに至ったことがありません。それでも一応手許に1冊の本はあります。

 

このように、濃淡はあるにしても「書く」「聞く」「話す」については手許に本を持っていました。対して、残りのひとつ「読む」に関する本は1冊もありませんでした。

 

先に【0142】のなかで、“成毛「本は10冊~」にある「超並列」読書術を知ってから、安い本を見つけては買い、時間がある限り読むというようなことをしていてそれが数年も経ちますと、いつのまにか、何をするにもまずは本で知識を仕入れてから、という行動様式となっていました。”と書いています。
何をするにもまずは本で知識を仕入れてからです、興味を持ったことに対してはまずは本を買います。

そんな(日野)の手許に「読む」に関する本がないということは、「読む」に対して興味を持ったことがなかったのだと、推測されます。

 

なぜ「読む」に興味を持つことがなかったのでしょうか。

「読む」は当然できているという思い込みがあったように思います。

(日野)はそう思っていたし、(日野)の周りのひとも「話す」とは違って(自分は「読み」ができていると思っているし、自分のことを「読み」ができないと思ったことがないから他人である(日野)が「読み」ができないなんて思いつきもしないから)贈呈しようと考えることもない。

 

しかし、その「読む」ができているという思い込み、できていると思い込んでいるけれどもできていない、ということが、業務上の躓きのすべての原因ではないか、と思い至りました。

 

この推測:言語を介するコミュニケーションに必要な能力が「読むこと」「書くこと」「聞くこと」「話すこと」の4つであることと、加えてそのなかで「読む」に対する問題意識が小さいということを代弁してくれているのが次の引用です。

言語の学習には、「読む」「書く」「聞く」「話す」という四つの技能があると言われます。しかし、「読む」という技能は、他の三つの技能よりも軽んじられる傾向があります。

石黒圭 『「読む」技術』p13>

 

–次回につづく–

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