【0007】「実践」とは 2 of 5

11-連載-ブログタイトル62リスク管理, 63意思決定, 99引用

(追記)投稿当時は現在とちがい、ブログタイトルは「(名称準備中)が実践するビジネス法務」であり、管理人の名称は「(準備中)」でした。
 
 大企業であれば、しっかりとした法務部門があって、上長や先輩に聞けばいいのだろう。前の投稿に書いたように、思うままに思いつく順序でしゃべり続ければいい。上長が解決してくれるでしょう。

 でも、(準備中)のような中小企業の法務担当であれば法務といってもひとりで、ましてや総務の仕事の一部分としてであれば、上長に聞いたところでその人は法務はわからないから「なんとかせえよ、お前の仕事やろ」という有言・無言の圧力をかけられておしまい。
 時間の無駄。

 聞いている暇があるなら、自分でやるしかない。

 

 じゃあ何から手をつけるか。

 まずは情報の収集。
会社の蔵書、自分の家の蔵書、それでもなければ大きめの書店でひたすら本を読み漁る。
そうやって似た事例を探すわけです。

 それから…(いろいろと続きますが、長くなるので省略します。この辺りはまた別エントリーで)

 そうして見つけた選択肢が正しいかどうかは、これもまた誰も評価してくれません。
 したくないのではなく、法的知識がないから、評価できないのです。(指導はない、評価もできないとなると、何のための上長なのでしょう)

 では、そのときの判断が正しいか否かをどうやって判断するのか。

 それは、時が経って問題が起こらなければOK。それで判断するしかない。
 その間数年、だれもが覚えていないことにひとり苦しむわけです。う~ん、あの判断は正しかったのだろうか、と。
その間、訴訟が提起されない可能性はゼロではないわけです。少なくとも自分の中では。

 そのように誰も理解できないところで苦しんでいるのがひとり法務だと思います。
 そういうときに、その苦しみを少しでも和らげてくれるのが、判断材料の正しさなのです。

 


リスクを回避するための判断は、不確実な結果が起こる前になされているということである。問題となるのは、与えられた情報で、ベストの判断を行ったかどうかなのである。誰も将来を完璧に予測することはできないのである。(略)そのため、リスク管理が適切かどうかは、その意思決定時の状況において、適切なものであったかどうか評価するべきなのである。

<ツヴィ・ボディ 他『現代ファイナンス論【意思決定のための理論と実践】 改訂版』ピアソン・エデュケーション>


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