【0082】ホウタンノソとプランB 5 of 7

11-連載-ブログタイトル98おしらせ, 99引用

–前回までのあらすじ–

さていま手許にある5冊の本を書籍名で50音順に並べると4冊目<大久保=平本『ビジネス法務集中講義』>が元のブログタイトル「(名称準備中)が実践するビジネス法務」を名付ける上で重要な役割を果たした結果、定義が定まっていない「ビジネス法務」という言葉を自分なりに定義してブログタイトルにまで使ったのに、その後「ビジネス法務」というのは検定試験の名前でしかないのだと気づいてしまい、一方で「(名称準備中)が実践するビジネス法務」の「(名称準備中)」にも問題があって、ここは「インハウスローヤーが」というような一事業会社の法務業務をするには珍しい立場、を表す言葉を入れる予定でしたがどうやらその立場にはあと数年はなれなさそうだということになり、「名は体を表す」という言葉を実感しました。

この言葉「名は体を表す(人や物の名は、そのものの実体や性質などを的確に表していることが多いということ<三省堂編修所編『新明解故事ことわざ辞典』)」には2つの視点があると思います。

その2つというのは、「(自分が)他者を見るとき」と「(自分が)自分自身を見るとき」という2つです。

ひとつめは、「(自分が)他者を見るときに、(他者の本質は置いておいてまず)その他者の名前によって想起されるイメージが先行する・その他者が持つ名前から受ける印象によって他者を判断しようとする」ということ

もうひとつは、「(自分が)自分自身を見るときに、(自分の本来の欲求は置いておいてまず)自己の名前によって想起されるイメージが先行する・自己の名前を聞いて(あくまでも自分が)思い描く印象の通りの自己になろうとする」ということ

これをブログタイトルにおける失敗に当てはめてみると、
元のブログタイトルのうち「ビジネス法務」が、ひとつ目の「自分が他者を見るときに、他者の本質は置いておいてまず、名前のイメージが先行するということ」に関して問題になります。

  • 自分:ビジネス実務法務検定について調べようとした人

が何かを検索して

  • 他者:このブログ

に辿り着いたとき、確実にがっかりするでしょう。
「ビジネス法務」を冠しながら、(そのタイトルから期待される)当該検定試験のことはまったく書いていないのですから。

 

もうひとつの「自分が自分を見るときに、名前のイメージに囚われて、名前のイメージどおりになろうとするということ」に関しては、元のブログタイトルのうち「名称準備中」という状況が問題となります。

(準備中)を名乗っていると、準備中の気分になります。
(準備中)と名乗る自分を見たときに、本当は(日野)であるはずの自分が、なんだか「準備中」であるかのような、まだ本番でないような気分になるのです。
そう本番でないような気分になるとどうなるかというと、踏み込んだことを書けなくなります。どうしても「(準備中)ごときが」となってしまいます。

その上に、これは致命的に思うのですが、このブログを他者に薦めることができません。
「ちょっといいこと書いてるから読んでみて」と(日野)が友だちAに薦めたとして、その友だちAは(日野)が言うならとこのブログを見てみると「準備中」と書いてある。「なんだまだ準備中か」と、訪問者はそこに書いてある内容を信頼することはないでしょうし、友だちAであれば「まだ見なかったことにしてあげよう」と気を遣って、再度来ることもないでしょう。きっと。

 

そう考えると、もうこのタイトル「(名称準備中)が実践するビジネス法務」のまま続けていくのは無理だと思いました。「(名称準備中)」と「ビジネス法務」を取ると残るのは「実践する」だけです。「実践する」は両脇の言葉があってこそのことで、これ単独では意味がありません。
一方で、このブログは続けたい。せっかく始めて書きためてきた文章を残したい。このブログを一旦閉鎖して再度新しくということをしたくないのです(現状有姿で価値があるならまだいいけど今はまだ「未来の自分への申し送り」でしかない文章を公に残しておくことの価値とは何か?と問うならば、更新をせずにおいておくということは考えられず、更新しない⇒閉鎖、だと思うのです。)。

そうなると、じゃあ、ブログタイトル変えるしかない。

 

そうして、ブログタイトルを変えることにしました。

ブログタイトルが変わります。管理人の名前も決めました。

ここでようやく冒頭の言葉に戻ります。

 

2017年(平成29年)2月28日以降、
このブログの名称は「(名称準備中)が実践するビジネス法務」を改め「ホウタンノソ」とします。
同時に、管理人は「日野吉富」を名乗ります。

–次回につづく–

このページの先頭へ