【0095】「法務担当者はスタッフであるから」というときのスタッフ(前) 4 of 5

10-ビジネス法務63意思決定, 78一般知識, 79一般教養, 99引用

–前回までのあらすじ–

(日野)はスタッフという言葉に強い想いを持って、その強い想いが前提となる論の進め方をするので、「スタッフ」の意味・イメージが一致しないと、論がつながらない。このブログにおけるスタッフの意味を定義するとき、
このブログでの「スタッフ」は、大体が経営学の領域にあり、社会科学・人文科学ならまずは「有斐閣アルマ」シリーズで、次に有斐閣つながりで「有斐閣双書」シリーズから引いてみると、双書シリーズの中村『経営学』では、前回引用部分など、ぶれることのない論理の一貫性にアカデミズムの香りを感じる素晴らしい内容です。他もみてみましょう。

 

有斐閣の他の出版社ではどうか

ここまで2冊、有斐閣アルマから有斐閣つながりで少し出版年が前のテキストを見てみました。

最近の教科書ではどう書かれているでしょうか。

スタッフとはそれ自体が利益を生む活動ではありませんが、利益を生むことに直接かかわる活動、すなわちライン職能を補佐し後方支援する活動です。たとえば、人事、総務、法務などが代表的なスタッフ組織(スタッフ職能)です。また、現在の経営企画室や経営戦略室などの同じ補佐でもトップ・マネジメントを補佐するスタッフはとくにゼネラル・スタッフと呼ばれ、通常のスタッフはスペシャル・スタッフと呼ばれます。(…)((日野)注:ライン・アンド・スタッフ組織における)スタッフ部門はその助言者(アドバイザー)的な役割や補佐的な役割から、またゼネラル・スタッフを含めその立ち位置が比較的上位に位置付けられるため、ライン部門の上位部門であるとかライン部門に優越すると思われがちです。ところが、ライン部門に対して指示・命令する権限はないとされていますし、あくまでも助言・補佐という役割にとどまるとされています。

松本久良 『基礎からわかる経営組織』

ちょっといろいろの論点を盛り込もうとしてよくわからなくなります。

 

比較的新しい研究分野である経営管理もやがて1世紀間の研究が積み重ねられています。

やがて1世紀ともなると単純に、「古典」といわれる書籍が書かれたころより情報が増えています。

その増えた情報を限られた文量にすべて盛り込もうとすると、結局ナニ?となります。

端的に「スタッフとは」ということに回答してくれない。どんどん拡散する。拡散した結果結局なんの話、何をいいたいの?と、素人には理解できないものになってしまいます。

 

とはいえ、今日日の研究者が置かれているのはそのような情報量が増えている状況です。さらにその予備軍である学部生向けのテキストとなると、どうしても情報量が増えていくことになってしまうのでしょう。仕方のないところです。

 

古典的なテキストではどうか

ここまで学部生向けのテキストを見てきて蛇足かもしれませんが、経営学で古典と言われているような本だとどうでしょうか。

(日野)の手許にあって経営学で古典となるとまず出てくるのはドラッカー『現代の経営』があります。

まったくのところ、いわゆるスタッフ機能などはもつべきものではない。私の理解するかぎりでは、スタッフとは責任抜きに権限をもつことを意味する。(…)経営管理者は、特定の機能にかかわる専門家の助けを必要とする。しかし、彼ら専門家といえども、いかに仕事をするかを人に教えるのではなく、自らが仕事をしなければならない。そして自らの仕事について全面的に責任を負わなければならない。彼らは(…)特別の機能をもってその属する部門の経営管理者に貢献する存在となるべきである。

P.F.ドラッカー 『ドラッカー選書4 現代の経営(下)』

引用の出だしが「スタッフ機能などもつべきものではない」と否定されます。こんなにもスタッフ全否定では、「スタッフとしての~」とは言えなくなります。

こうなるともう、今回の話からは大きくそれてしまいます。

ちなみに、この「スタッフ機能などもつべきものではない」というのは文字通りの意味でなくアイキャッチとしての表現(のはず)です。強烈な問題提起から始まる文章の構成からみても、この本からアカデミズムというのか、深みというようなものを感じます。

 

このように学部生向けのテキストや研究者の論文などは、いろいろの論点が記載されます。

そこで書かれていることは、そこで書かれている論点とその後書かれる論点とをつなげる意図があることもって、問題提起的な文章が続くため一読しただけでは答えがない、ずっと問題提起だけのように感じます。明瞭・端的からは遠く離れた文章です。

 

このような本は、さらっと黙読するだけでは、「つまりなんなん」「この本結局なんにも言ってないな」となります。

しかしそれはそういうもので、

そのように「つまりなんなん」「この本結局なんにも言ってないな」と思ったときに、手にしているモノが古典とかスタンダードなどといわれているモノであれば、

「なんにも言ってないな」などと決めつける前に自分のやりかた・読み方や能力・読解力を疑うべきです。

「なにも言っていない」のではなく、「なにも理解できないくらい基礎力不足」である可能性が高いです。

 

–次回につづく–


このページの先頭へ