【0107】国語辞典の選び方 6 of 7

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–前回までのあらすじ–

言葉を調べるとっかかりとして専門的な物より国語辞典のほうが向いている、国語辞典の分類方法、国語辞典を複数持つことの効用に続いて、前回は法務担当者にとっての国語辞典の選び方として「権威の有無」が大切で、その選び方であれば広辞苑の一択であることを書いてきました。

 

なぜ広辞苑なのか。
それは、岩波だから、です。

岩波書店がどういう存在か、解りやすいのが次の引用です。

前章では帝大文学部生の特徴を分析することで、教養主義の担い手のハビトゥスや身体についてみてきた。文学部は教養の奥義である古典・正典を定義し、解釈する制度だったが、出版社は、そうした教養を普及し、社会的に伝達する制度である。教養主義の文化エージェントは、なんといっても岩波文庫をはじめとする学術・教養書出版をおこなった岩波書店である。

教養主義の別名は岩波文庫主義でもあった。わたしのようなプチ教養主義者は、大学生のとき岩波文庫を何冊読むかで、自分の教養の目安にしたものである。(…)昭和初期にはマルクス・ボーイやエンゲルス・ガールという言葉が流行ったが、岩波ボーイという言葉もあった。鞄から岩波文庫の赤帯をのぞかせる岩波ガールもいた。

竹内洋 『教養主義の没落』

この引用の奥付を見ると、著者は1942年(昭和17年)生とあるので、現在75歳。

70歳台の方が大学生の頃には「岩波」というのは特別なブランドだったことが判ります。

さらにサンキュータツオ氏の書から次の引用をみると、権威がどのように形成されていくかが理解できます。

まだ出版社が少なかった時代に、インテリ層の人たちが持っていたのは、みんな岩波書店の本なんです。(…)私たちのおじいちゃん世代、つまり戦争を経験していた世代の人たちというのは、(…)岩波書店の看板をものすごく大きいと感じていたわけです。(…)インテリの人がみんな持っていたから、大人になったら『広辞苑』を机の上に置くのがかっこいいみたいな、そういうイメージもあるかもしれません。「あの人が持っていたあの本」「お父さんが持っていたあの辞典」ならまちがいなく正しい、ということになるわけです。まぁ、それは幻想なのですが。

小説家の筒井康隆さんと、以前テレビ番組の収録でご一緒したとき、「辞書は、岩波以外は買わないって親に言われていた」とおっしゃっていました。実際に、そういう家が多かったんだろうと思うのです。私の祖父もそうでした。角川もかなりの辞書の権威ではありますが、インテリ層はみんな岩波の国語辞典を買っていて、(…)

サンキュータツオ 『国語辞典の遊び方』

権威というものの形成には、親の志向が影響すること読み取れます。

いま大学生の頃に「岩波」が特別なブランドであった70歳台の方の子どもとなると40~50歳台の人たちで、この40~50歳台というのはちょうど課長~部長という頃ではないでしょうか。

 

逆から言い直すと、われわれ(もとい(日野)のように役職に無い)法務担当者が説得しなければならない上司である(いま現在課長・部長に就いているはずの)40~50歳台の人たちが疑問なく受け入れてくれる引用元・参照先が「広辞苑」である、ということです。

 

この妄信的ともいえるほどの認知度、信頼度こそ、広辞苑を選ぶ理由です。

広辞苑から引いておけば疑われることがない。それが重要なのです。

 

このように「岩波ブランド」が強烈に刷り込まれている時期があるので、一定の世代の方には「岩波だから」というだけで充分信頼に値することになります。

この影響でしょうか、広辞苑はテレビなどのメディアでも引用されます。

われわれ(もとい(日野)のように役職に無い)法務担当者だけでなく、テレビ局の若手も同じことを考えているのでしょうか。なんらかの言葉を紹介するときにその引用元は大概「広辞苑」です。

このテレビによる広辞苑利用によって20~30歳台にも広辞苑は広く認知されています。

これがまた広辞苑の権威を高めてくれることになります。

 

ということで、法務担当者として国語辞典を選ぶなら「広辞苑の一択」ということになりますが、

とはいえ、広辞苑はでかい。重いし、背割れしそうで出したり入れたり開いたり閉じたりに気を遣って面倒くさい。そのうえ高価だから扱いに神経質になる。

そのような広辞苑を自費で買って会社のデスクに置いておけるかというと、ちょっとつらい。

それで使い込まないようでは金の無駄なので、それであれば広辞苑でなくとも同じ岩波書店の小型辞典「岩波国語辞典」で充分だと思います。

 

ふだんは「岩波国語辞典」。いざという資料(最終的に社長(≒おじいちゃん?)まで上がるような案件とか)では「広辞苑」を恭しく取り出すということでよいのではないでしょうか。

 

このように「広辞苑の一択」というのは、あくまで法務担当者として、経営幹部や上司に対してのポーズという意味でしかありません。

個人的には好みの物を使えばよいと思いますし、そうするべきだと思います。

プライベートまで権威に寄り添ってしっくりこない意味の言葉を使うのは寂しい人生ではないでしょうか。
ここでは深入りしませんが、水野『「広辞苑」の罠』という本もあります。
権威は利用するものであって、権威に縛られるようではこの先はうまく生きていけないということだと思います。

実際に、(日野)は業務には上記の理由で岩波国語辞典と広辞苑を使うようにしていますが、個人的には旺文社国語辞典を使っています。中型であれば(旺文社国語辞典と同じ松村明氏の)大辞林が気に入っています。

 

–次回につづく–


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