【0159】読解力の向上に資すること、その手がかり  8 of 8

21-読解する技法

–前回までのあらすじ–

“全体としての大きさの程度をおおまかに把握”することを「風呂敷を広げてみる」ということとして、風呂敷のひとつめは「読む」の位置づけ、

ふたつめの風呂敷は「読解を考える手がかり」

 

「読解を考える手がかり」となると、まず素直に、現代文読解が挙げられ、これは日本語が母国語である人に対して母国語である日本語を教わるものです。

そうではなく、日本語が母国語でない人に、日本語を教えるという立場には“(母国語話者が)自然に身に付けた”のとは異なる、(“テクニカルな要素”が強い)日本語の学び方/習得の仕方が存在するはずで、この“自然に身につけた”と “テクニカルな要素”については、小さい「っ」の発音の例がわかりやすいということで次の引用部分を挙げました。

ところでこの小さい「っ」、私たちが「促音」ともよぶ音っていったいどういう音なんでしょう。まさか、「つ」って小さい声で言うんでしょ、とは誰も思っていないでしょうが…。(…)日本人の大人に聞いてもあまり役に立たないかも。だって使いこなすぶんにはまったく不自由していなくて、この「っ」っていう音をどう発音すればいいのかなどという疑問に直面したことがないですからね。こんなときは、そう、外国人に聞いてみましょう!

「日本語の授業で、「っ」ってどう習いましたか?」

「次の音の構えをしながら、つまりスタンバイしながら1拍分の長さをおくことです。」

――知ってました? そんな難しいことしているって。

われわれ日本語母語話者の場合は、わざわざそんなこと教わってないのに、誰にとってもそういうものとして身についているということが、考えてみるとすごいですね。正しく発音できない人は誰もいないのに、じゃあどんな音ですかと聞いたら答えられない。母語話者って、えてしてそういうものです。

広瀬友紀 『ちいさい言語学者の冒険』p28 下線は(日野)による>

日本語を母国語とする話者であれば、自然と身につけている“小さい「っ」”の発音ですが、ではどう発音しているのか説明しろといわれるとできません。この引用のうち、みっつめの下線“聞いたら答えられない。母語話者ってえてしてそういうもの”という部分がそのことをあらわしています。

そんな“自然に身につけた”とはちがって、“テクニカルな要素”というのは真似をすることができます。

“テクニカルな要素”といっているのは先の引用ではふたつめの下線部分“次の音の構えをしながら、つまりスタンバイしながら1拍分の長さをおく”のことです。こう説明されれば意識的に真似をすることが可能です。

 

したがって、外国語話者が外国語話者に対して教える本こそが「読解する技法」を解明するための鍵になると思っています。

 

さて、外国語話者が外国語話者に教えるときの教科書が「読解する技法」を解明する鍵となるくらい重要なものになりそうと思ったときに、(外国語話者が外国語話者に対して教えるということで)思い浮かぶのは英語教育です。
いまではどうかわかりませんが、(日野)が中学生だった当時、完全に日本語英語を話す日本人先生が英語の授業をしていました。
日本語が母国語の先生が、日本語が母国語の生徒に、英語を教える。そこで教えられるのはきっと英語ではありません。音(オン)を変えた日本語、車をカー(car)と言い換えただけのこと。それは「電気自動車」を「PHV」というのと変わりありません。言い換えをする価値がないレベルのはなしです。
少なくとも(日野)が受けていた義務教育の英語は、英語といいながらやっていることは国語の授業で漢文を習うのと同じことです。

これらのことから、(外国語話者が外国語話者を教えているといえる)英語や古文や漢文のような、現国の範囲を超える言語の読み書きも、現代文読解に役に立つと思います。

 

 

ここまで、列挙してきたのは、いわゆる国語・現国、英語・古文・漢文という日本人が義務教育の課程で学ぶことです。そこに外国人向けの日本語が加わったくらいのことです。

これらはまさに言語の読み書きを習得するために存在するものです。

このほかに、言語自体の深堀りや言語をどのように認識するかを深堀する言語学や心理学のような学問領域や、文章の集積である本という物に対しての行動、読むべき本をどのようにして選び、選んだ本をどのように読むか という領域、いわゆる読書術というものがあります。

 

 

これらがふたつめの風呂敷「読解を考える手がかり」になると考えています。

ここで広げた風呂敷から何を学ぶのか、まとめます。

 

【結】まとめ

読解する技法を考えるにあたって、本題に入る前に全体の大きさを知っておくために、2つの風呂敷を広げてきました

ひとつめの風呂敷は「「読む」の位置づけ」。ふたつめの風呂敷は「読解を考える手がかり」でした。

そのなかで、ひとつめの風呂敷「「読む」の位置づけ」から、「読む」は、
「相手の主張を(読んで・聞いて)理解する→(相手の主張を受けて自分の主張を)考える→(自分の主張を書いたり・話したりして)伝える」
という一連の流れの入り口に当たるといえます。

この流れの入り口としての読解を考えていきます。このときの考える方法として、

ふたつめの風呂敷「読解を考える手がかり」では、手がかりとして、日本人向けの国語、外国人向けの日本語教育、日本人向けの他言語教育の他、言語学や心理学のような学問、読書術のような言語の集積である本を読む方法論などを挙げてきました。

そのなかで読解する技法を習得するためには、まずは「いわゆる国語(現国)を学び直して、読書術を身に付けることが近道のようだ」
といったん結論づけておきます。

–次回につづく–

21-読解する技法


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