【0233】法律学の基本書を読む 1 of 10

21-読解する技法

【0227】続・古典を読む 古典的な本を読む 3 of 3で予告したとおり、
法務担当者の基礎となる知識および技法を知るための古典的な本として、
“経営学の古典”、そのあと“法律学の基本書”と続ける予定で進めてきて、
前回まで「経営学の古典を読む」を書いてきました。

続けて“法律学の基本書”です。

 

振り返ると、
【0218】古典を読むと題して、『論語』『スッタニパータ』『古事記』『聖書』など、
1000年2000年と読み継がれてきたものを挙げました。
続く【0225】続・古典を読む 古典的な本を読む 1 of 3では、
そんなに長く読まれていないと古典ではないのか、否、そんなことはなく、
我妻榮『民法講義』のように世に出てから100年弱の物でも日本の法律家にとっては古典に匹敵する重要な書物であり、
“ある時”“ある場所”“ある属性の人”にとっては“比較的”新しいものでも古典となる、

ということを書きました。

そうして法務担当者の基礎となる知識および技法を知るための古典的な本として経営学における古典を挙げてきたのが【0228】【0231】までの「経営学の古典を読む(全4回)」でした。

 

そのような流れの中で「経営学の古典を読む」に続く「法律学の基本書を読む」です。

 

“基本書”になっており、もはや“古典”という言葉すら消えてしまいました。

語感だけの話ではなく、ここはやはり古典ではなく基本書という言葉が適切だと考えています。

 

なぜか。

 

【0225】で”1000年2000年読み継がれたものでなくても、ある条件下では古典となるものがある”の例として挙げた
我妻『民法講義』、改めて読み返してみました。

相変わらず(!?)の、すばらしい記述です。
法曹だけではなく、我々法務担当者にとってもまちがいなく古典です。

いまでも通用する(むしろこれが現時点での完成形といえる)部分がある一方、
情報が最新ではないのは事実です。

具体的にいま(日野)の手許にある『新訂民法総則(民法講義Ⅰ)』の奥付を見ると
1965年新訂1刷発行・2007年45刷発行となっています。

1965年です。直近の民法を改正持ち出すまでもなく、現行民法に対して我妻民法を“そのまま”適用できるところは少なくなっています。

社会の情勢に合わせて変わっていく法律に対して、古典だけで判断を下していくというのは不可能という話です。

 

それは古典だけでなく基本書でも同じでしょ?基本書も常に最新版が必要なのですか?と問われると、
厳密に言えばそうでしょう、常に最新版を用意するべきです。
が、
法改正や新判例があったとしても、自分でメモ書きする等で補足していけば足ります。

基本書まで常に最新の版を手許に置かずとも、六法さえ更新しておけば足るのではないでしょうか。
お金の問題もありますが、それよりも、自分で手を入れて自分のものにした基本書をそう簡単に入れ替えもできません

ただ、自分で補足していくにしても程度問題で、年々変わる法律に対して、その補足が追いつかないのが法律学の古典です。

お弟子さんをはじめ、研究者にもできないから改訂されていないものを、
古典を中心に使って実務をおこなうのは無理があります。

そこで我々法務担当者は、古典ではなく、基本書を使います。

 

–次回につづく–

21-読解する技法


このページの先頭へ