【0266】年度末を越えて

10-ビジネス法務

この投稿、投稿日は4月23日です。

(日野)の会社は、3月31日が年度末です。

ホウタン、いわゆるスタッフ部門の仕事をするようになって、

15年程になりますが、この時期は何度やっても大変です。

 

2008年3月31日が、スタッフ部門として初めて迎えた年度末でした。

初めてなので、わからないままに迎えました。

先輩や上司から煽られて、かつてその日に感じたことのない昂揚感を持って過ごしたことを覚えています。

その後の1ヶ月ちょっと、いつまでも終わらない決算、

3月31日が延々と続きます。

伝票の処理日は変わりません、
先週入れた伝票が3月31日、今日入れる伝票も3月31日。
3月31日の伝票を修正する伝票の日付も3月31日。

3月31日からの1ヶ月ちょっと、日に日にダメージが大きくなっていきました。

休日返上で伝票の投入処理を終えたものの、帳簿間の残高があわずに翌週は毎日終電間際まで課長との読み合わせが続く。助けてくれる人は誰もいない、経験不足ではあるけどいまいるメンバーで力を合わせてコツコツやるしかない。

あのときの風景、目の前がぼんやり暗く、かすんでぼやけているような感覚はいまでも忘れられません。(当時の事務所照明は現実にいまより輝度低かったとは思いますが)

 

それまでの肉体を酷使する生活を逃れて、スラっとスマートに事務処理をこなす知的労働者のキラキラとした世界に憧れていた(日野)でしたが、スタッフ部門1年目がそんな状態だったので、それまで抱いていた幻想は打ち砕かれました。

スラリとスマートではない。泥水をすすりながら先輩に食らいつき習得していく現実がありました。

 

スラリとスマートではない、という意識の切り替えのおかげで、その後10年程、なんとかやってこれたわけです。なんとかやっていくうちに、ある程度の役割を任されるようにもなり、後から入社したという意味の後輩だけでなく、部下という位置づけでも人を任されます。

同時に会社も大きくなっていき、入社してくる人の質も変わる中で、今度は後輩が着いてこられないという新しい苦難を迎えます。

「私は苦労して自分で考えて経験するなかで良いやりかたを見出してきた」と言っても「苦労するやりかたを押しつけないでもらいたい」と言われるわけです(これは生まれた年代による違いというよりも、これまでに所属してきた会社のステージの違いのようです。若くてもベンチャーや中小企業で責任持って仕事したことある人は理解してくれますが、大企業しか知らない方(役職経験者除く)は年長者でもそうおっしゃいます)。

 

新型コロナでリモート勤務が進んでいくと、それまで当社では起こっていなかった新しい難事に這いつくばって泥水をすすりながら取り組んでいる姿も見えにくくなり、

スラリとスマートを志向される方が、現実を見ずに就業を続けられます。

その結果、技能は身に着かないまま体力は衰えて、会社から見捨てられ給料据え置きだけど転職する力もないという、後戻りができない状態になるのではないかなと、これこそ老婆心ながら、心配しつつ、

15年経った今年もやっぱり誰も助けてくれない状況の中で、必死でもがきながら、3月31日をまたいでいるところです。

 

ということで、まともな記事に仕上げることができません。

今週はここまで。

次回は、決算に関連して、「予選の予選はできない」という話を書きたいと思っています。

10-ビジネス法務


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