【0072】フレームワークとしての法的三段論法(後) 3 of 8

14-連載-法務三大フレームワーク11環境整備, 12経営法務/戦略法務, 13予防法務, 14臨床法務, 16内部関係, 17継続関係, 18突発関係, 21基本六法, 22民商法, 23労働法, 24消費者法, 25経済法, 26知的財産法, 61契約手続き, 62リスク管理, 63意思決定, 76資格・試験, 99引用

–前回までのあらすじ–

法的三段論法が「どういうもので」「なぜ必要で」「どう使えばよいのか」のうち「なぜ必要か」について、ふたつの理由「法的争いの終局的解決は裁判によるから」、「他人を納得させる効力が高いから」のうち前者から。理由は前回【0072】にゆずり結論だけを再掲します。


終局的な、蒸し返すことのできない、(言い過ぎかもしれないけど)絶対的な判断を形成するときの思考の枠が法的三段論法であります。法的三段論法がそのような利用をされているのなら我々もそれに倣って同じものを利用したほうがよいのではないか。

なぜ裁判所に対して右に倣えなのかというと、まちがった・正義に反する考え(それは敗訴の結果として正義に反するとされてしまう考えであるのですが)、を相手方に対して主張してしまう可能性が減るだろうということがいちばんの理由です。

 

順を追って説明します。

なんらかの問題が発生したとき、まずは相手方当事者と直接に話し合って解決しようとします。
そのときにお互いの考えを主張するわけです。
そのときにした自分の主張が相手に受け容れられない場合に提訴することになるわけです。
その提訴の結果なされる裁判で自分の主張と異なる判決がでる=敗訴するということは、裁判によって自分の主張が常識に反すると認定されるということです。
自分の考え方を、国家的な強制力を持って、否定されるわけです。

 

正義に反する主張をするというのは、信用を失うことにつながります。

信用は商売において最高に重要な要素のひとつだと思っています。
信用を失うということの重さが伝わるでしょうか。

信用が商売において最高に重要な要素のひとつであることを考えれば、終局的に正しいとされるであろう考え方を以て物事を進めることがいかに大切か、解っていただけると思います。

 

だから、法務担当者が法的な問題に対処するときは、(法的な問題を終局的に判断する)裁判所と同じ思考の枠を身につけましょう、ということです。

そしてその裁判所と同じ思考の枠が法的三段論法である、ということです。

 

別の言い方をすると、
サラリーマンが上司の指示に従うのと同じことです。

上司と同じ考え方、上司と同じ思考法を身につけようと考えるのと同じことです。

なぜ上司と同じ思考法が必要になるのかというと、上司が決定権を持っているからです。
「だって、上司がウンと言わないと仕事が進まないから」というのと同じ発想です。

 

これが、法務担当者にとって法的三段論法が必要になるのはなぜかと問うたとき挙がる理由ふたつのうちのひとつめ「法的争いの終局的解決は裁判によるから」です。

 

法的三段論法を使う理由2:他人を納得させる効力が高いから

次に、ふたつめの「他人を納得させる効力が高いから」とはどういうことか見ていきます。

 

理由1の説明で、法的三段論法が裁判で利用されることを書きました。

この裁判というのは、日本で行われるあらゆる行為のなかでも最上位の客観性を求められています。

 “
「手続的正義」が大切ということです。民事訴訟の場面では訴訟物たる100万円の債権があるかないかが争われ、裁判所がその存否につき判決をだすわけですが、そのときの判決に国民は従わなければならないことになります。ここで、訴えられた被告、つまり100万円払う必要がないと主張している被告に対し、払えという判決が出て確定したとします。(…)なぜ被告はその判決を納得することができるのでしょうか?それは、訴訟の手続きにおいて十分な反論ができたからなのです。(…)被告を納得させること、これは紛争を解決していく上で非常に重要な意味をもちます。手続保障がされたからこそ被告は渋々ながらも従わなければならないわけです。

伊藤真 『伊藤真の刑事訴訟法入門』第4版 下線は(日野)による>

繰り返しになりますが、書いておきます。
なんらかの問題が発生したとき、まずは相手方当事者と直接に話し合って解決しようとします。そのときにお互いの考えを主張し合います。
それでも自分の主張が相手に受け容れられない場合に提訴する・提訴されることになるわけです。
その提訴の結果なされる裁判で自分の主張と異なる判決がでることが敗訴するということです。
自分の主張が常識に反すると認定されるということです。
自分の考え方を、国家的な強制力を持って、否定されるわけです。

このように主張が認められず敗訴した者が、国家的な強制力をもってその主張を否定された者が、その裁判に納得できるかどうか。
どうあれば自分の主張と異なる判断に対して「仕方ないか」と思えるか。

その納得を得るためのひとつとして、裁判は客観的でなければなりません。

上の引用では、客観的な裁判を担保するひとつの手段として手続保障の説明がなされています。

–次回につづく–

(追記)投稿当時は現在とちがい、管理人の名称は(準備中)でした。修正して現在の一人称である(日野)等に置換えをしています。


このページの先頭へ