【0120】ゆく年くる年

92-年こそ薬なれ94伏線・回収, 96第一話, 97最終話

【起】大晦日の前日に思うこと

明日は大晦日、12月31日ですね。

たまたまであって、狙ったわけでないのですが、いったん話題が完結してその翌週が12月30日です。明日は大晦日です。

 

この書出しは1年前、2016年12月31日の投稿と同じです。もう少し借用しつつ続けてみます。

 

不思議なもので、大晦日となると1年の振返りをしてみようか、という気分になります。

せっかくそんな気分なので、2017年の投稿を振り返って、どういうテーマで投稿してきたのか、並べておきたいと思います。

 

【承】2017年の投稿を、定量的に、振り返る

番号

テーマ名

第1話日

話数

13

ゆく年くる年/くる年きた年

【0068】2016.12.31

2

14

フレームワークとしての法的三段論法(後)

【0070】2017.01.14

8+1

15

ホウタンノソとプランB

【0078】2017.03.12

7+1

16

一才桜とともに考える法務担当者の心構え

【0086】2017.05.06

6

17

「法務担当者はスタッフであるから」というときのスタッフ(前)

【0092】2017.06.17

5+1

18

「法務担当者はスタッフであるから」というときのスタッフ(後)

【0098】2017.07.29

3

19

「法務担当者はスタッフであるから」というときのスタッフ(全)

【0101】2017.08.19

1

20

国語辞典の選び方

【0102】2017.08.26

7

21

資格試験ランキング

【0109】2017.10.14

7

22

新入社員研修のあるべき姿とは

【0118】2017.12.16

2+2

23

(今回)

   

※「番号」は「【0068】ゆく年くる年」からの通算です。

 

1年前に2016年の大晦日に「ゆく年くる年/くる年きた年」から始まって、年を跨いで、

2017年は、テーマでいうと10テーマ、話数では53話となりました。

1テーマ当り話数を計算すると、5.3話/1テーマです。

 

最近は1話=2000字を超えていることがほとんどなので、1つのテーマに少なくとも10000字を費やしているということがいえます。

10000字というのは400字詰めの原稿用紙で25枚分の文量にあたります。

小学生の頃に、夏休みの最後の日に泣きながら読書感想文を書いていた(日野)です、

当時の読書感想文で要求される枚数というのはせいぜい400字詰め原稿用紙5枚前後だったはずなので、原稿用紙25枚というのは破格の枚数です。

 

量的には書けるようになりました。

何かひとつ、ホウタンノソに絡んで気の向くテーマがあれば10000字書ける。

それがいまの(日野)の書く力です。

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【転】2017年の投稿を、定性的に、振り返る

量は書けたとして質的にどうか、

あらためて読み返してみました。

 

前年から引続きとなる大テーマである「フレームワークとしての法的三段論法」を書き切った上での「ホウタンノソとプランB」、このブログと管理人の名称を改めました。

その後は、「一才桜」を買いに行ったときの花屋さんとの出来事やよく使う「スタッフ」という言葉、さらにスタッフという言葉を定義し(ようとし)たところから「辞典の選び方」など、

日常的なことから法務担当者の業務や心の持ち方のあるべき姿を抽出することをテーマに書き進めてきました。

そのあとの「資格試験」や「新入社員研修」というものを同様の考えから扱っています。

 

さて、ひと続きに読み返してみると、

法的三段論法という大テーマを書き切ったからか、
(準備中)&「ビジネス法務」という束縛を解けたからか、
その両方が影響しているのか、

2016年までと比べて、力みがなくなったように思います。

後半はテーマ名を一見すると法務担当に関係ないように見え肩の力が抜けすぎてやいないかとも思えますが、そんなことはなくて読んでみるとちゃんと法務担当の業務につながっています。

読んでみると繋がっているとはいえ、内容とテーマの名前が不一致すぎて、テーマ名だけ見てもどういう内容だったか書いた本人でも思い出せなかったというのは反省するべきところです。

【結】なんのために書いているのか?

大晦日だから1年の振返りをしてみようか、という気分で2017年の投稿を振り返って、

振返りのやり始めには、相変わらず、「なんのために書いているのか?」という疑問が起こりました。

日本において特殊な立場にいるわけなく、特別優秀な資格・免許を持っているわけでもない、他の人より優れた知能を持っているということもなく、社内ですら突出した存在でもない、
そんな(日野)が公共の資源を費消して、文章を公開することの意味とはなにか、と。

振返りとなると毎度やっぱり同じ疑問が起こるものの、
そんな疑問を持ちながら読み返してみると、
その「なんのために書いているのか?」という問いに対しては、まだ1年前から答えは変わっていませんでした。

ここからは【0069】くる年きた年 2 of 2から借用しつつ

知識・経験がちがうと、同じモノを見ても違うモノが出てきます。(・・・)いま書いていることを数年後に見直してみると、同じテーマでより発展的な内容で書けるかもしれない。(・・・)より発展的な内容の文章を書けるようになった(日野)がいつかの未来にいるかもしれません。

 

この件に関して現在の(日野)はこう考えているけど、(現在の(日野)よりより知識が増えて経験も積んだ)未来の(日野)はどうお考えですか?と。

その申し送りをするために、

いま思うことを、いまのレベルの(日野)の言葉で残しておく。

 

未来の(日野)がよりレベルの高い内容で書けるようになっている前提で、
未来の(日野)が書くべきテーマを今から提供し続けていくことで、このブログは価値があると胸を張って言えるときがくるのでないか。
より高いレベルとなっているはずの(日野)が書くべきテーマを提供していることが、現在のこのブログの価値で

「なんのために書いているのか?」という問いに対しての、1年前から変わりない答えがこれです。

 

そうそのように未来に向けた気持ちで2018年もまた一年間、このブログを週一回書き続けていきたいと思っております。

それではみなさま、よいお年をお迎えください


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